がんであることを聞いたら何と声をかけるのが正解?
だんだんと気持ちが吹っ切れて私の周りの友達や同僚にもがんになったことを話せるようになってきた。
少しずつ受け入れられるようになった心境の変化なのかな・・・
でも、そう言われて何と声をかけるのが正解なんだろう?
自分だったら何と返答するのだろう・・・
母親からは『かわいそうに』『変われるものなら変わってあげたい』と言われ泣かれた。
これは母親だから、私の今までの人生をわかってくれているから出た言葉で、
私の気持ちになって寄り添ってくれていると感じた。
けれど、これがもし友達だったらどう感じるのだろう。。。
私はやはりかわいそうに映るのか・・・可哀想には哀れみや不幸さを感じるような・・・
友達から言われたらきっと傷つくかな。
私は良くなると信じているし、希望があるから決してかわいそうな人ではない。
でも、自分がこのような病にならなかったらその立場に立っての気持ちがわからなかったら、同じように言葉にはしなくてもかわいそうと思うかもしれない。
離婚した時もそうだった。
離婚するには何か理由があるし、相手ばかりの責任でない。
離婚した人をどこか不憫に感じ可哀想と心の中で思っていたかもしれない。
でも、いざ、自分が離婚してみてそれはその人にしかわからない気持ちで、
子どもは片親になり生活が変わったり不自由な思いをすることがあるかもしれないが、
可哀想とは少し違う。
病気も何か本人の自己管理の無さから原因があるのでは・・・?
自分にも責任あるんじゃないの?と健康で病気とは無縁だった頃は思っていたかもしれない。
でも、いざ自分に降りかかるとその何倍も自分を責めるし、思い返して何がいけなかったのだろうかと自問自答を繰り返す。
決して、健康に気を使わなかった訳でもないし、何なら健康に良いと言われる食事を取り入れていたし、野菜が大好きでいつも野菜室いっぱいに野菜を常備していたし。。。
だから、自分を責めるのはもうやめようと思う。
過去を振り返ることも大事だけど、現実を受け入れこれからどうするかだ。
人の痛みや傷は受けた本人にしかわからない。
だから、気休めに大丈夫だよと言われても相手との親密度や信頼関係度で受け取り方は変わるし、簡単に大丈夫なんて言わないでと思うこともある。
相手に寄り添って、困っていることがあればいつでも言ってねと、相手の選択に委ねること、辛い時に話を聞いて、サポートしてくれること。
私も経験したことで、自分ではどうにもできないこともあることを知った。
だから、それぞれの人生、みんな違うし、正解はない。
受け入れること、人も病気も・・・前を向いて生きていけるように。